トマトは野菜

東大で宇宙の研究しています。文章書いたりひっそりこっそり。

宇宙観と科学

科学って?研究って?

 もし宇宙への興味以外の全てを失って、突如紀元前にタイムスリップしたらどうしますか?宇宙のことを知りたくてもインターネットはないので検索はできません、もちろん図書館もたぶんないですし、周囲の人に聞いても恐らく知らないでしょう。どのようにして人々は現在の宇宙観を手に入れたのでしょうか。図1はNASAESAによる画像データと距離データをもとに太陽を中心に対数スケールで宇宙を図示したものです。対数スケールというのは桁が上がるまでの間隔を揃えた目盛りのことです。

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図1 芸術家Budassiによる宇宙の全体像。NASAESAの画像データと距離データをもとに制作。太陽系を中心に対数スケールで観測可能な宇宙を図示されている。

 今でこそ科学という営みは確固たる地位を築いているので、もはや科学とは何かについて考えることはほとんどないと思います。しかし、宇宙はどうなっているのかを知ろうとする人類の歴史は、科学的なプロセスがどういうものかを知る上で非常に参考になるものだと思います。

 科学とは、何か疑問に感じたことに対して、仮説を構築しその検証をする、そしてまた仮説を立てて検証するという繰り返しの営みです。

 宇宙の研究というと難しい数式を使って何やら呪文のような計算をするというイメージを持つでしょう。しかし、宇宙(天体の運動)を数学を使って理解しようとするようになったのは、イングランドの学者であるニュートンの書物「プリンピキア」が1687年に出版されてからとされています。そのため、数学という道具のなかったそれまでの時代には、仮説を構築する上で宗教などが根拠となることが多く、宇宙論は科学だけでなく宗教、神話、哲学などとも深い関わりを持っています。

 検証といっても、当時は宇宙に行くことはもちろんできませんし、高精度な望遠鏡も人工衛星もありません。当時の人たちは自分たちの宇宙を理解するために、専ら夜空を動き回る天体の運動を何とかして説明しようとしていました。つまり、自分の宇宙像のモデルを作って、そのモデルで予想される星の動きが実際に空で見られる星の動きと合っているかを確認するという検証を繰り返します。

 

 宇宙観に関する歴史を網羅的に話すことはここではしませんが、有名な宇宙の模型としては、西暦100年頃の古代ローマの学者であるプトレマイオスによるものがあります。彼は宇宙を図2のように捉えました。

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図2 Johannes Van Loon作の天動説宇宙図。中心に地球があり、その周りの天球上を惑星が移動する。

 

地球は宇宙の中心に止まっていて、月、太陽、恒星と、当時知られていた水星、金星、火星、土星木星が天球に載せられて回っているというものです。さらに、現実の惑星の複雑な動きを説明するために、これらの天体は天球の上でさらに小さい円運動をしていると考えました。天体の位置を上手く説明できた一方、大きさを上手く説明できなかったのですが、当時は広く受け入れられたものでした。なぜなら、聖書の記述に合うものだったのに加え、天球外部に天国と地獄の余地を持っているからとかいう理由だったそうです。

 しかし、このモデルは後に否定されることになります。ポーランドの聖職者であるコペルニクスが、太陽を中心に他の天体が円運動をするというモデルを提唱した後、イタリアの科学者ガリレオが望遠鏡で木星の衛星、つまり木星の月を発見します。これによって、地球の周りを全ての天体が回るというプトレマイオスの宇宙像は厳しいものとなります。

 その後は、ドイツの天文学者ケプラーによって「円運動ではなくて実は楕円運動じゃね?」、ニュートンによって「楕円運動なのは重力のせいじゃね?」となって、今日の宇宙像が得られてきます。

 最後の方は端折りましたが、宇宙像を知りたいという目的のもと、実際の現象を説明するような仮説を立てて、検証して、問題が発生して、また仮説を立てて、検証して、問題が発生して...という繰り返しによって、人類は宇宙を知ってきました。この、仮説構築、結果検討検証の営みが科学的方法と呼ばれるもので、宇宙に限らずあらゆる研究等で基本になる営みになっています。