宇宙観と科学
科学って?研究って?
もし宇宙への興味以外の全てを失って、突如紀元前にタイムスリップしたらどうしますか?宇宙のことを知りたくてもインターネットはないので検索はできません、もちろん図書館もたぶんないですし、周囲の人に聞いても恐らく知らないでしょう。どのようにして人々は現在の宇宙観を手に入れたのでしょうか。図1はNASAやESAによる画像データと距離データをもとに太陽を中心に対数スケールで宇宙を図示したものです。対数スケールというのは桁が上がるまでの間隔を揃えた目盛りのことです。
今でこそ科学という営みは確固たる地位を築いているので、もはや科学とは何かについて考えることはほとんどないと思います。しかし、宇宙はどうなっているのかを知ろうとする人類の歴史は、科学的なプロセスがどういうものかを知る上で非常に参考になるものだと思います。
科学とは、何か疑問に感じたことに対して、仮説を構築しその検証をする、そしてまた仮説を立てて検証するという繰り返しの営みです。
宇宙の研究というと難しい数式を使って何やら呪文のような計算をするというイメージを持つでしょう。しかし、宇宙(天体の運動)を数学を使って理解しようとするようになったのは、イングランドの学者であるニュートンの書物「プリンピキア」が1687年に出版されてからとされています。そのため、数学という道具のなかったそれまでの時代には、仮説を構築する上で宗教などが根拠となることが多く、宇宙論は科学だけでなく宗教、神話、哲学などとも深い関わりを持っています。
検証といっても、当時は宇宙に行くことはもちろんできませんし、高精度な望遠鏡も人工衛星もありません。当時の人たちは自分たちの宇宙を理解するために、専ら夜空を動き回る天体の運動を何とかして説明しようとしていました。つまり、自分の宇宙像のモデルを作って、そのモデルで予想される星の動きが実際に空で見られる星の動きと合っているかを確認するという検証を繰り返します。
宇宙観に関する歴史を網羅的に話すことはここではしませんが、有名な宇宙の模型としては、西暦100年頃の古代ローマの学者であるプトレマイオスによるものがあります。彼は宇宙を図2のように捉えました。
地球は宇宙の中心に止まっていて、月、太陽、恒星と、当時知られていた水星、金星、火星、土星、木星が天球に載せられて回っているというものです。さらに、現実の惑星の複雑な動きを説明するために、これらの天体は天球の上でさらに小さい円運動をしていると考えました。天体の位置を上手く説明できた一方、大きさを上手く説明できなかったのですが、当時は広く受け入れられたものでした。なぜなら、聖書の記述に合うものだったのに加え、天球外部に天国と地獄の余地を持っているからとかいう理由だったそうです。
しかし、このモデルは後に否定されることになります。ポーランドの聖職者であるコペルニクスが、太陽を中心に他の天体が円運動をするというモデルを提唱した後、イタリアの科学者ガリレオが望遠鏡で木星の衛星、つまり木星の月を発見します。これによって、地球の周りを全ての天体が回るというプトレマイオスの宇宙像は厳しいものとなります。
その後は、ドイツの天文学者ケプラーによって「円運動ではなくて実は楕円運動じゃね?」、ニュートンによって「楕円運動なのは重力のせいじゃね?」となって、今日の宇宙像が得られてきます。
最後の方は端折りましたが、宇宙像を知りたいという目的のもと、実際の現象を説明するような仮説を立てて、検証して、問題が発生して、また仮説を立てて、検証して、問題が発生して...という繰り返しによって、人類は宇宙を知ってきました。この、仮説構築、結果検討検証の営みが科学的方法と呼ばれるもので、宇宙に限らずあらゆる研究等で基本になる営みになっています。
ほぼ毎日気楽な宇宙
はじめに
タイトルの通りですが、ほぼ毎日気楽に宇宙のお話をここに投稿することにします。
ほぼ毎日としているのは、二日に一回とか一週間に一回と保険をかけて緩い設定にすると私の性格上絶対にサボります。ほぼ毎日と設定することでようやく一週間に一回程度になるのです。
そもそも現代人は、ソーシャル・ネットワーキング・サービスや動画配信サービスに慣れてしまい、長い活字を読むのが苦手です。
したがって、私的にも読者的にも、こまめに小話を提供する程度がベストかなと考えてこのようなスタイルにしました。
私は重力波天文学を専門とする、とある大学の物理の博士課程学生です。
重力波とはアインシュタインの一般相対性理論などの重力理論で考えられる時空の歪みが波として伝わる現象です。
重力波から宇宙の様々な情報を集めることで、宇宙や天体の進化、重力の法則の謎に迫ることができます。まあ、そんな感じの研究をしています。
私自身、科学史なんかはあまり勉強したことがなく、何かを機に網羅的に宇宙の勉強をしたいなと考えてました。
テーマは大雑把な流れしか決めておらず、基本的にその日に思いついたことを話すつもりです。なので、コメント等でこんなことが知りたいとリクエストしてくれたら取り上げて臨機応変に勉強するつもりでいます。
"A Brief history of time"、 訳本「ホーキング、宇宙を語る」の中に「数式を一つ入れるたびに、売り上げは半減する」という名言があります。多くの人に読めるように極力数式は避けて説明するようにします。数式を扱えない人は数式を理解することは難しいですが、数式を扱える人は数式を避けて説明できるはずだからです。
それでは、今後ともよろしくお願いします。
虹を考える
はじめに
映画「今夜、ロマンス劇場で」を観ました。
モノクロ映画のヒロインが現実世界に飛び出し、映画監督を夢見る青年と出会うという幻想的な恋愛の物語です。
色彩豊かな現実世界は、モノクロ映画から飛び出したヒロインにとってひたすらに新鮮で美しい。
そんな美しいものの一つとして描かれているのが、空にかかる大きなアーチ状の虹です。
ヒロインが虹を見上げるシーンを見て、なんとなく虹と感情のことを書き留めておこうと思いました。
ただ適当に心の中で思い浮かんだことを無責任に書き殴った文章を随筆と言うと昔学校で習った気がします。
よって、この文章は随筆です。
ただ、物事を理解するということとそれに抱く感情についてちょっとお話ししたいなと。
6. 「美しいって」の章が一番お話ししたいところなので、そこだけでも目を通してみて下さい。
青年は作中で「虹は幸運の象徴で、空に二本掛かったら、願い事が叶うって言われてるんですよ」とヒロインに話しています。
虹は光が空気中の水滴で折れ曲り跳ね返されることで現れます。
水滴の中で1度跳ね返されるとあの大きな虹が生まれます。
実はその大きな虹の上には水滴の中で2度跳ね返されたことで見える別の虹があったりします。
1度跳ね返されたことでできる虹を主虹といい、2度跳ね返されてできた虹を副虹といいます。
それでは、3度跳ね返されたらどうなるでしょうか?
私や恐らくみなさんが子供の頃に感じた、なぜ虹はあんな姿形をしているのかそして何故それを美しいと思うのかについてちょっとお話しします。
本文はあまり数式を使わないように説明しています。
数式を使った説明は最後におまけとしてつけておきます。
光と目
虹は光が起こす現象です。そのためにまず最初に光の特徴についてザッと話すことにします。
この辺のことを知っている人は読み飛ばしてもらっていいです。
光とはややこしい言葉を使うと電磁波の仲間です。
正確に書くことを目的にしてないので、適当に説明すると、文字の通り電気とか磁石的なものが波のように進んでいくものです。
人間の目ではこの電気とか磁石っぽいものを直接見ることはできないですが、光は図1のようなイメージで考えると分かりやすいです。
光は実はこのように、電場(でんば)と磁場(じば)と呼ばれるものが上下に振動しながら前に進んでいくものなのです。
光が縦にどれだけ揺れているかを表すものが、振幅(しんぷく)と呼ばれるものです。
一方、光の波の山と山がどれだけ離れているかを表すものが、波長(はちょう)と呼ばれるものです。
聞きなれない言葉が出てくると、何やら難しい話のように聞こえてしまうものですが、いちいち電気とか磁石っぽいものなどと説明していると頭悪そうに聞こえるので、電場とか磁場とか振幅とか波長とか小難しいこと言って格好つけているだけです。
理科や数学を難しく感じるのは格好つけているからだけなのです。
どうか、難しいと決めつけないで、言葉をイメージしようとしてみて下さい。
難しい言葉など知らなくとも、どうしてそれが起こるのかを人に説明できればそれは立派な理解です。
この後も所々で難しげな言葉を使って格好つけることがありますが、なるべく日常的な言葉で説明するように心掛けるので、難しい言葉が出てきたら、「ふーん、電場っていうのね」のように、細かい名称は聞き流してもらって構わないです。
ここで大切なのは、光の強さと波長、つまり光がどれだけ大きく縦に揺れているか、そしてその揺れがどれだけまったりしているかという二つの性質があるということです。
他にも光を特徴づけるものとして、光の速さを表す光速や光がどれだけ素早く振動しているのかを表す周波数などがあります。光速や周波数、波長などは関係し合う量ですが、説明を簡潔にするために本文書では本文で挙げた光の強さと波長を使ってお話します。
光は基本的に真っ直ぐに進みます。
しかし、光はある物質から違う物質に進むときに進行方向を曲げます。
入ってきた光は、図2のように二手に分かれて進んでいきます。
片方は境界を突き抜けて進んでいき、もう片方は弾き返されて進んでいきます。
この入ってきた光が曲がって突き抜けて進んでいくことを屈折(くっせつ)といい、弾き返されて進んでいくことを反射(はんしゃ)といいます。
それでは、屈折するときの折れ曲がる角度や反射するときの角度、どれくらいの光が反射してどれくらいの光が屈折するのか。
屈折と反射の様子は何で決まるのでしょうか?
実は、このときの様子は境界を作ってる物と物の性質と、光の波長、光が入ってくるときの角度で決まります。
言い換えると、これらを知っていれば、入ってきた光のどれくらいの光が反射するのかどんな角度で折れ曲がるのかを予言することができます。
屈折するときの角度の関係はスネルの法則、反射するときの角度の関係は反射の法則、反射する光の割合なんかはスネルの方程式としてまとめられています。
詳しい説明はおまけにあります。
細かい法則や方程式は置いておいて、ここでは光が折れ曲がったり跳ね返ったりすること、その様子は実は計算することができるというのを知っててくれればいいです。
それでは、人はどのようにして光を感じているのでしょう。
小学校だか中学校だかで勉強すると思いますが、人の目は図3のようになっています。
人の目は外から入ってきた光を水晶体(すいしょうたい)というレンズの役割をするもので曲げることで、網膜(もうまく)というスクリーンの上に映します。
人の網膜には錐体(すいたい)という光を感じることができる(視)細胞があります。
人にはS,M,Lの3つの錐体があります。それぞれの錐体は得意な波長が決まっていて、例えばS錐体は波長が短い光を感じることができます。
人はこれらの錐体で得られた外からの光の情報を組み合わせることで、外の光の強さと波長という性質を知ることができるのです。
光の強さを眩しさ、光の波長を色として人は認識できます。
波長は色に対応していて\Fig{spectrum}のようになっています。
赤は波長が長く、紫に近づくにつれて波長が短くなります。
ここでちょっと疑問に思う人もいるかと思いますが、ライトや照明は光っているので、その眩しさや波長を知ることができるのは納得ですが、
どうして人はセロリのような光ってないものを見ても色を知ることができるのでしょう。
光ってないものの場合でも、光が目に入っていることには変わりはないです。
しかし、セロリ自身は勝手に光らないため、照明や太陽などの光がセロリにぶつかってはね返ってきた光を見ることで色を知ることができます。
照明や太陽などの光は白色光といって、様々な色の光が混ざっている光になっています。
どの色の光を反射するかは物にはよって決まっています。
セロリは緑色の光を反射させるので、照明や太陽からぶつかってきた光のうち緑色だけを打ち返して、それが人の目に入ることで人はセロリが緑であることを知るのです。
先ほど話したように光の屈折の仕方は光の波長が関係します。
それでは照明や太陽の光などのような色々な波長を持つ光を、屈折させたらどうなるでしょうか?
屈折する角度は波長によって違うので、図5のように違う波長の光は違う方向に飛んでいき波長ごとに分かれます。
人間は波長の違いを色の違いとして認識するので、別々の色ごとに分かれて見えるわけです。
まとめると、光には強さと波長という特徴があって、人はそれを眩しさと色として目と脳で知ることができます。
光には物と物の境目で反射や屈折という進む向きを変える現象が起きます。
反射と屈折の様子は物と物の性質や、光の波長、表面に入る角度で決まってしまうのです。
色々な色の混ざった光が屈折すると色ごとに分かれます。
主虹
虹とは雨が降った後などに空に七色の帯が見られるアレのことです。
誰しも一度くらいは見たことがあるかと思います。
何故か最近見ることが減った気がするのですが、学校が終わると外でアホみたいにボールを蹴っ飛ばしてた頃と違って空を見上げることが減ったからでしょうか。
実は虹は空気中の水滴によって太陽の光が反射・屈折することで起こるのです。
通常虹というと主虹(しゅにじ)のことをいいます。まず主虹のできる仕組みについてお話しします。
太陽の光には色々な色の光が混ざっているので、最初は赤い光だけを考えます。
図6のように大気中の水滴に太陽の赤い光が平行に入って屈折し、一回反射して、再び外に屈折して出てゆくとします。
屈折や反射の様子は境界を作ってる物質(この場合水と空気)、光の波長(図6では赤だけ描いてる)、光が入射する角度で決まってしまうので、このような感じに図が描けます。
実際には、平行にたくさんの光が水滴に入ってくるので図7のような感じになります。
図を作るのが流石にこれは面倒なので、この虹のシミュレータを使わせてもらいました。皆さんも遊んでみては。
これをよく見てみると、光が入ってくる方向と出てゆく方向が約42度のところに光が集まって見えます。
つまり、この方向を見ている人はその方向から強く赤い光がやってくるように見えるわけです。
屈折するときの様子は前に話したように波長によって違うので、この強くなる方向は色によってちょっとずつ微妙に変わります。
そのため、人にはちょっとずつズレた角度の位置に違う色の光を感じるのです。
これが虹の正体でこうして約42度方向に虹が現れているように見えます(図8)。
まとめると、光が屈折する角度は光の色によって異なるため、水滴で反射と屈折を繰り返すことで次第に分かれて、それぞれがある特殊な角度からくるときに強く見えることで七色のアーチ状に虹ができるのです。
これがよく虹と呼ばれるもので、特にこのようにしてできる虹を主虹と呼びます。
副虹
実は虹には色々な種類があります。次に副虹という虹の説明をします。
次は、図9のように大気中の水滴に太陽の光が平行に入って屈折し、二回反射して、再び外に屈折して出て行くとします。
基本的に主虹のときと同じような話になります。
今度の場合は、光が入ってくる方向と出てゆく方向が約51度のところに光が集まって見えます。
しかし、光の色がずれる方向が主虹のときと逆になるため、図10のように副虹は主虹の上の方に逆順の色で現れます。
その先
主虹は水滴内で一回、副虹は水滴内で二回の反射を経てできるものでした。
そのため、主虹を一次(いちじ)の虹、副虹を二次(にじ)の虹と呼ぶことができます。
それでは、三次の虹、四次の虹、・・・というのを考えることはできないのかなと思うでしょう。
実際、同じようにして考えることができます。
細かい計算はおまけに書いておきます。なのでここでは特徴だけまとめます。
主虹、副虹はさっき説明したように太陽の反対側に見えます。
五次、六次、九次、十次、・・・の虹も太陽の反対側に見えます。
しかし、三次、四次、七次、八次、・・・の虹は太陽と同じ向きに見えます。
また、一度反射するたびに光の一部は屈折して逃げていってしまうため、反射の数が増えれば増えるほど光の量が減ってショボくなります。
ざっくり計算すると一回反射が増えるだけで半分以下の明るさになってしまいます。
主虹はもちろん副虹も肉眼で見えることがあります。
三次以降の虹については非常に弱いため肉眼での観測は難しいですが、日本でも条件が揃えば撮影が可能であるという報告がされているようです。
興味のある方や写真撮るのが好きな方々は挑戦してみて下さい。
ただ、太陽は非常に明るいため直接目で見るのは大変危険です。
良い子も悪い子も絶対にしないで下さい。
美しいって
ここまで、虹がどうやって生まれるのか、どうやって人が虹を見るのかについて話してきました。
それでは、どうして人は虹を美しいと思うのでしょうか。
美とは何かを考える学問として哲学の一分野である美学があります。
私は美学の専門家でなければ、まして美学の勉強をしたことすらろくにありません。
そのため、ここでは私が綾瀬はるかさんを観ながら狭い自室で一人思ったことを話します。
美しいとは理解に対する余裕だと思います。
もうちょっと細かくいうと、理解に対する余裕から生まれる文化とでも言いますかね。
世の中には美しいとされるものと醜いとされるものがあります。
醜いものを挙げると悪口になってしまうのでやめておきますが、絵画、建築、彫刻、山河、海、宇宙、生物など、芸術品や自然などに美しいとされるものが溢れています。
これらを全ての人がいつでも美しいと感じるわけではありませんが、なぜか共通の認識として虹は美しいと思われていたりします。
映画や小説で美の象徴として描かれているからそう思い込んでるだけかもしれません。
誰かが言ってるからこれは美しいんだなと思い込んでるだけかもしれません。
いずれにせよ、何かに対して多くの人が共通の認識を抱いている時点で何かしらの文化なのでしょう。
話が発散してしまうので、虹に絞って話をします。
それでは虹は歴史的にどのようなものと捉えられてきたのでしょう。
本文やおまけで説明したような虹を物理現象として最初に理解したのはフランスの哲学者、数学者であるデカルトやイギリスの自然科学者、哲学者であるニュートンだとされています。
17世紀ごろなので、日本だと江戸時代になります。
それまで文化的には、古くキリスト教では虹を神との契約と捉えたり、中国では虹を龍と見る言い伝えがあったりするそうです。
また中世日本では他界と俗界の境界と捉えられていたりしたそうです。
このように、虹の機構が解明されるまでは、虹の奇妙に整ったその姿に畏敬の念と好奇心を抱き、その意味や正体をなんとかして説明しようとしていた人類の姿勢が伺えます。
したがって、今でこそ幸運の象徴としてのイメージがありますが、吉兆凶兆どちらの言い伝えも存在していました。
人は何か分からない未知のものに対して恐ろしさや不安を感じます。
綺麗なものを見て綺麗だと感じたり、可愛いものを見て可愛いと素直に感じることができるのは、理解に基づいた文化や余裕に支えられているからなのではないでしょうか。
虹でも何でもそうですが物事を物理的に理解しようとすると、「そんな夢のないこと」などと言われることがあります。
物理や数学を通して何かを学ぶことは夢を奪い、世界を味気ないものにする行為でしょうか?
私は全く逆に思います。
虹という現象を考えれば考えるほど、宇宙はなんてうまくできているんだろうという尋常でない不可思議さに包まれます。
人がいて、光があって、太陽があって、水滴があって、波長があって、色があって、屈折があって、虹がある。
虹の仕組みを知ったとて、どうしてこんなにも都合よくできているのか驚くくらい不思議で、それゆえに仕組みを理解したからこそ更に美しいと感じることができるのです。
知ることなしで新しい気づきは起こりません。これは別に勉強に限りません。
例えば自分が映画の演出をするとして、「虹が二本見えると幸せになる」という件を撮ろうとしているのに、物理的にあり得ない意味不明な順序にしてしまっていたら興ざめです。
色々な方向に興味を持つのがプラスになることはあってもマイナスになることはないと信じています。
折角モノクロでない完全な世界に生まれてきたのですから、これを機に出来る範囲で私達の宇宙を知るのはどうでしょう。
ところがですね、この文章を読んでいるような人はもともと知るのが好きな人な気がしてます。
「虹の仕組み?うるセーな。やかましいわ。」と思うような人は、残念ながらこの量の活字を読むことが困難だと思われます。
なので、何かを学ぶことを否定された人が自信を持って学び続ける動機を提供できたとしたらこの文章を甲斐があったかなと。
考えてることとか話したいこといっぱいあるのですが、たまには文章にしてみるかなと思って今回は書いてみました。
あまり、長々と喋っていると発言に自信のない人だと思われるのでこの辺で筆を置くことにします。
おまけ
細かい数式を使った説明はここにまとめておきます。
まず、屈折と反射についてまとめますね。
屈折の曲がり具合はどんなもの同士の境目を考えているかによってスネルの法則を通して決まります。
図11のように、は光が入ってきたときの角度で、は光が出て行くときの角度です。
反射するときの角度は簡単で、入ってきたときと同じ角度で出て行きます。
また、入ってきた光のうち、どれくらいが屈折する光になってどれくらいが反射する光になるのかも、物質の性質と入射角が分かれば分かります。
頑張れば境界条件やら何やらを使ってどうして光がどうしてこのように曲がるのかを
証明することができますが、頑張りたくないのでここでは頑張らないです。
例えば、空気と水の境界に光が入り込むことを考えると、空気と水の性質からが分かります。
すると、例えばが30度になるように光を入れたとすると、さっきの式を使ってを計算することができて、計算したで屈折して行くことや30度で反射していこことなど、実際に角度を計らなくてもどういう方向に進んでいくのかが分かるのです。
また、空気と水、入射角30度という条件が分かると、どのくらいの光が屈折してどのくらいの光が反射する光になるのかもちょっと面倒な計算をすれば分かります。
.
なんかこんな感じの計算をすることになります。興味のある人はFresnelの方程式等で調べてみて下さい。
虫眼鏡や眼鏡、レンズはこの屈折を使って光の向きを捻じ曲げ、物を拡大したり光を集めあたりする道具なのです。
それでは、主虹からお話ししますね。
図12のように大気中の水滴に太陽の光が平行に入って屈折し、一回反射して、再び外に屈折して出て行くとします。
反射するときは入射角と反射角が同じになるので、このような感じに図が描けるのです。
本当はこの入ってくる光に平行に至る所から光がやってくるわけですが、ややこしいので一つの光線だけを描いてます。
入ってきた光が出ていくときにどれくらい曲がったかを表す角度をとして、入ってくる光の角度をとします。
屈折角をとすると、スネルの法則から、
となります。は屈折率といい、光の波長によって値は変わるのですが水の場合約1.33になります。
また、となります。
なので、結果的にとの関係は
となります。
を用いて光が屈折によってよく集まる箇所を探します。
本当は一定の密度で光線が入射されるときにどれくらい集まるかを考えるべきなので、散乱理論とかの衝突係数を使って考えるべきなのでしょうが、その場合でもの点を考えればいいですし、は単調な変化しないので、結局同じ議論になりますね。
赤い光を考えているときはくらいなのでをどんどん変えると、が約60度のとき、は最も小さい値42度くらいになります。
また、紫の光を考えているときはくらいなので、今度はの最も小さい値は41度くらいになります。
これは、図7のように光が入射する場所を徐々に上下に変えていくと、が最小になるところで屈折して出てゆく光がよく集まるので明るく見えます。
なので、赤い光は42度の方向、紫の光は41度の方向に強く見え、青や緑、オレンジなどの光も赤と紫の間のどっかしらの部分で強くなります。
こうして虹の七色が出来上がります。とは太陽の光が進む方向と水滴から出ていくときの角度なので、この七色の光は図のように太陽と反対の方向に半円のようなアーチ状に広がって見えます。
次に副虹です。
次は、図9のように大気中の水滴に太陽の光が平行に入って屈折し、二回反射して、再び外に屈折して出て行くとします。
基本的に主虹のときと同じような計算を繰り返します。
まず、スネルの法則から、となります。
さらに、
が成り立ちます。なので、結果的にとの関係は
となります。
主虹のときと同じようにして、赤い光を考えているときはくらいなので
をどんどん変えると、が約70度のときは最も小さい値50度くらいになります。
また、紫の光を考えているときはくらいなので、今度はの最も小さい値は52度くらいになります。
主虹は水滴内で一回、副虹は水滴内で二回反射したときにできる虹です。
それでは、三回、四回、・・・と反射したときはどうなるでしょうか。
水滴の中でN回反射したときを考えると、一回屈折するときに回転し、一回反射するときに回転するので、
となります。これをグラフにすると、図13みたいな感じになります。
それぞれの虹でのとの関係が描かれています。が一番小さくなるところが黒丸のところです。
水色になっているところが太陽の反対側で、ピンクっぽくなっているところが太陽側を表しています。
なので、主虹、副虹、五次、六次、九次、十次、・・・の虹は太陽の反対側に見えて、三次、四次、七次、八次、・・・の虹は太陽と同じ向きに見えるのです。
それでは一度反射すると光はどれくらい弱くなるのでしょうか。
物質の境界でどれくらいの光が反射してどれくらいの光が反射せずに屈折するかはFresnelの方程式から決まります。
本気出せばちゃんと計算することもできますが、面倒なのでここではざっくり計算します。
80度前後で水滴から空気の境界で反射するときにはざっくり40%の光が反射して、60%の光は抜けていってしまいます。
そのため、主虹の明るさに対して、副虹は40%、三次の虹は16%、四次の虹は6%くらいの明るさになっています。
かなり大雑把な計算なので、実際はもうちょっとマシかと思います。
いずれにせよ、反射の数が多くなればなるほど、ショボくなっていきます。
また、さらに太陽側に見える虹は太陽の明るさが邪魔で見るのが難しいです。
主虹、副虹、三次、四次、・・・となるにつれて色が薄くなって見るのが難しい上に、三次、四次、七次、八次、・・・の虹は太陽と同じ側にあるためさらに見つけるのが難しくなるというわけです。
一応ここでも言っておきますが太陽は非常に明るいので直接目で見るのは危険です。
何度も言いますがくれぐれも直接太陽を見ないようにして下さい。
あとがき
この文章を書いて学んだことが一つあります。
図を作るのがびっくりするほど面倒だということです。
この文書を書いている途中で、「今夜、ロマンス劇場で」が、5月16日夜9時から地上波初、本編ノーカットで放送されると聞いて、急いで書き上げました。誤字や誤り等があったら教えて下さい。